世の中はすっかり短くなってしまった。地球の自転が少し速くなっていたのを僕だけが知らされていないことに気づいたら、なるほど、と合点がいくほどに。

2024年は大変な1年だった。大変な1年だったと思う。この国の2024年は震災とともに始まった。2月、H3ロケットの打ち上げ成功や日経平均株価の高騰で沸き立つに見えたが、そんな暇も無く鳥山明氏の訃報を知る。4月には1ドルが160円台に乗った。オリンピックが開催されたのはなんと今年の7月だったらしい。50-50に浮かれる9月、その裏で新内閣が発足されるなどし、波乱の衆議院選挙、疑惑の某県知事選挙をなんとか駆け抜け、息も絶え絶えに辿り着いた12月、世間ではインフルエンザが猛威をふるっている。世界ではずっと戦争が続いていた。

12月某日、mixi2なるSNSが突如立ちあがった。古きよきインターネット、あの頃の過ぎ去りしTwitterが戻ってきた。そんな言葉を目にし、確かにな、と思う。しかし同時にまた思うのだ、ここもすぐに埋め尽くされてしまうのかもしれない知れないな、と。

インターネットが楽しかったのはいつ頃までだろうか。そんなことをふと思った。

なにを隠そう、僕のインターネットの原体験はYahoo!ジオシティーズだった。当時、なんとか自分の言葉を世に発したくて、ホームページのつくりかたを勉強した。いまでは考えられないことだが、一番最初のホームページはWordから生成したものだった。そこからHTMLとCSSを学び初め、カウンターや掲示板をつくるには、CGIやPerlというものが必要らしいことを知った。Perlのことはもう何も覚えていないが、HTMLとCSSの知識は、いまでもずっと役に立っている。

はじめてつくったホームページでは、結局数本しか記事を書かなかったけれど、そのうちの1つは「お酒は好きな人もいれば好きではない人もいるのだから、他人に強要するのは良くない」といった主張の記事だったはずだ。多様性の申し子である。

自分の居場所ができたようで嬉しかった。

言葉を置く前にまず、言葉の置き場を時間をかけてつくる、という行為には確かな手触り感があったような気がする。2024年の年の瀬、自分にはあの頃のような手触り感がもう一度必要なのかもしれない。

僕にとってのYahoo!ジオシティーズの次は、WordPressでブログサイトを構築することだった。レンタルサーバーを借りて、独自ドメインをとって、CMSを準備する。いまでは、ブログサービスでアカウントをつくれば誰でも一瞬でできることが、当時はひとつひとつ勉強しなければできなかった。でもそれが楽しかった。もう一度やってみようかなと思った。

じつはこの記事のタイトルははじめ、"2024年の年の瀬、逆に今、WordPressをはじめる" だった。じっさい、Amazon LightsailをつかってWordPressを立ち上げるところまではやってみたのだった。これが令和最新のVPSかと感心したが、ここから自分好みにカスタマイズしていたら2024年が終わってしまいそうだなと思ってやめにした。そこで今の形に落ち着き、こうして筆をとることができている。それでも準備に2日はかけてしまった。こうなるとほとんど労働である。

実際そういうことなのかも知れない。かつては自分の表現の場が欲しい一心で、でもそれはどこか遊びだった。手触りのある "土いじり" のような。むかし砂場だったはずのインターネットは今では仕事場になった。

僕たちはいつしか、自分や他人を値踏みし、上か下か、自分が関わる価値があるかどうか、そんなことをばかりを考えるようになってしまった。いいねを送り送られ、すべてが要約され、すべてが瞬く間に消費されるこの社会で。そのような場所に、本当の自分の言葉はあるのだろうか。

僕たちには、少しばかり長く考えることが必要なのかも知れない。

そんなわけで、2024年の年の瀬、個人ブログをはじめてみようと思う。僕の好きな話、すなわちインターネットやテクノロジーの話、文学や哲学の話ができたらいい。ひっそりと読まれ、どこかの誰かが、もしかしてこれは自分に向けて書かれたものかもしれないと音もなく感じるような、そのような場所になればいいと思う。

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世の中はすっかり短くなってしまった。いまの僕たちには、少しばかり長く考えることが必要なのではないだろうか。紙の重さを感じながら、ゆっくりと頁をめくるような。本を読むような速さで。